ダンスのチカラで都城に笑顔と元気を届けたい!
中学時代からダンスに目覚め、修業のため20歳で理恵さんと上京して結婚した永窪英樹さん。そこから20余年の時が過ぎ、世界を舞台に活躍するパフォーマーとなった英樹さんは、故郷で自分の経験を次世代に伝えるという夢に挑戦しています。Uターン後に開いたスタジオ「Dance Dojo」には未就学児から大人まで多くの生徒が集い、市内のイベントステージでパフォーマンスを披露することもしばしば。そして、英樹さんはもうひとつの夢だったマイホームも手に入れ、家族や大切な友人たちとの時間を大切にできる新たな人生を手に入れました。
- 永窪 英樹さん(43歳) 理恵さん(45歳) 優空(ゆら)さん(16歳) 美空(みら)さん(11歳)
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- 先輩歴|2021年に移住
- 職業|英樹さん: 「Dance Dojo」主催・ダンスパフォーマー・コレオグラファー(振付師)

福岡で暮らしていた頃。英樹さんは土・日曜日も仕事だったため、家族全員で過ごせる時間がほとんどなかったそう
ダンス修業をしながらアパレル企業で働き、東京から仙台、福岡と転勤生活を送ってきた英樹さん。同郷の妻・理恵さんと「いつか都城に帰ろう」と話していましたが、Uターンをリアルに考えるようになったきっかけは2020年、コロナ禍での緊急事態宣言でした。県をまたいだ移動が不可となり、その時たまたま都城の祖父母の家に遊びに行っていたふたりの娘、優空さん・美空さんとしばらく会えない状況になってしまい、もどかしさを感じる日々を過ごしました。また、当時、英樹さんが体調を崩していたことも重なり「都城なら家族みんなで安心して暮らせるはず。次の人生を都城で切り拓いていこう」と決意し、2021年に帰郷しました。
Q 約20年ぶりに都城に帰ってきた感想は?
実は都城に戻る前、ある程度の成果を出せてはいたのですが仕事で心身が疲弊し、体調を崩していました。原因がわからないまま命の危険すら覚悟する状態となった時、「自分のスタジオを構え、後進を育成するというやり残した夢を叶えたい」と強く思い、Uターンを決めました。ところが、不思議なことに都城に帰ってきてからは症状が一切出なくなり、病院の検査に引っ掛かることもなくなったんです!それどころか時間の経過とともに活力が湧き、本来の自分を取り戻せたような気がしています。都城という土地での生活が自分の身体と心を癒してくれたのだと思います。ここは、自分にとってはパワースポットでもあります(英樹さん)。

一時は突然死の危険性も抱えていたという英樹さん。都城で奇跡的な復活を遂げ、現在も現役パフォーマーとして活躍している

スタジオ運営に関わり、公私ともに英樹さんをサポートする理恵さん
数十年ぶりに都城での暮らしが始まり、一番心配したのは子どもたちが学校に馴染めるかということでした。でも、今は都城への移住者や転勤者も増え、“転校生が珍しい!”という状況ではないようで、子どもたちもすぐに新しい友達をつくることができたので、親として安心しました。
街にはオシャレなスポットも増え、昔とは随分と様変わりしましたが、美しい自然は変わりませんね。いろんな土地で暮らしてきましたが、やっぱり自分の生まれ育った土地の自然が一番、心を癒してくれます(理恵さん)。
Q 家はどうやって探しましたか?
妻の妹の子どもたちと同じ学校に通わせたかったので、最初は校区内にアパートを借り、その後、土地を探してマイホームを建てました。土地の価格が東京や福岡、宮崎市内とも比較にならないほどリーズナブルだったからこそ叶えられたと思います。私と妻の実家のちょうど中間地点にあるのでお互いの家族にも会いやすく、よく家族でわが家に集まっています(英樹さん)。

夫妻のこだわりが貫かれたマイホーム。広々とした庭で友人たちとのバーベキューを楽しんでいるそう

「Dance Dojo」にて。音楽が流れ出すとおしゃべりしていた子どもたちもダンスに集中!みんな楽しそう!
Q 都城で暮らして良かったと思うことは?
自分のスタジオを持ち、新しい人生をスタートできたことです。教わる側から教える側になって、難しさもありますが、それを上回るほどの喜びを感じています。教室に通い始めた頃は内気だった子が、ダンスを通じて少しずつ自信をつけていき、明るい表情に変わっていく…、そんな姿を見るとやりがいを感じずにはいられません。自分の方が子どもたちから感動をもらっています(英樹さん)。
移住前、夫は土日も仕事で、夫婦の休日のタイミングがなかなか合わず、生活の時間帯も違って、家族みんなで過ごせる時間がほとんどなかったんです。でも、今は“家族みんなでご飯を食べる”が当たり前な暮らしになりました。みんなで食卓を囲むと会話する時間も増え、娘たちも親の仕事やライフスタイルに影響を受けたようで、長女はシンガーに、次女は美容系の学校に進学するという自分の夢を抱き始めました。都城に移住して家族の絆が一層深まったと思います。今、とっても幸せです(理恵さん)。

お気に入りのキッチンで子どもたちと料理を楽しむことも
Q これからの目標を教えてください。
まだまだ道半ばで、叶えたい目標がたくさんあります。障害のある子どもたちにダンスを教え、自分を表現できる喜びを伝えたいというのもそのひとつですし、「みやこんじょ大使」(※1)になって教育現場に関わっていくことも目指しています。遠回りで夢を叶えてきた自分だからこそできる話を次世代の若者たちに伝えられたらと。
また、ダンスを通じて地元に貢献したいという思いから地元のイベントにも積極的に参加していますし、2025年4月からは新設された「都城ストリートダンス協会」(※2)の副理事に就任しました。今年都城市内に誕生する「クロキリスタジアム」(※3)のオープニングセレモニーで同団体がパフォーマンスを担当する予定です。娘たちに負けないよう、自分自身もこれからもっともっと自分らしい夢を叶えていきたいですね。
※1 都城市公認の観光PR大使
※2 一般社団法人 都城芸術文化協会に所属する団体
※3 宮崎県山之口陸上競技場の名称(ネーミングライツ)。2027年に本県で開催される第81回国民スポーツ大会・第26回全国障害者スポーツ大会の総合開・閉会式および陸上競技の会場となる予定

都城市長(中央)とKENTO MORI氏(右)とともに。英樹さんは世界のトップアーティストの専属ダンサーを務めたKENTO MORI氏とも親交が深く、それが縁でKENTO MORI氏の都城市のPR動画への出演も実現した
Editor’s note!
さまざまな試練を乗り越えて都城にUターンし、理想の暮らしを手に入れた永窪さんファミリー。KENTO MORI氏とのパフォーマンスはもちろん、2024年はパリで開催された「JAPAN EXPO Paris」のステージにも日本代表ダンサーのひとりとして参加するなど、世界を舞台に活躍している英樹さんは「今後、ダンスを通じて都城に貢献したい」と地元への熱い思いを抱いています。そんな父をリスペクトし、自身の夢の芽を見つけ始めた優空さん・美空さん。都城への移住が家族の絆を深め、明るい未来を描き始めるきっかけとなったことは間違いなさそうです。